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2019 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
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2017 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2016 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2015 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
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2013 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2012 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2011 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2010 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2009 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
息長く続いている,Baugh and Cable の名著 A History of the English Language, 6th ed. を helwa の Taku さんと読み進める超精読会.第65節も終盤です.「#1946. 英語史の古典的名著 Baugh and Cable を読む (65-6) with Taku さん --- helwa 北千住オフ会より」をお届けします.ナビゲーターは,今回も Taku さんこと金田拓さん(帝京科学大学)です.
今回扱うのは「悪魔」「十字架」「復活」「罪」「最後の審判」といった,キリスト教の教義に不可欠な語彙群です.diabolus はそのまま dēofol(devil)として借用されましたが,本来語の同義語 fēond(fiend)も並行して用いられました.十字架は rōd, trēow, gealga.復活は ārīsan(起き上がる)由来の ǣrist.罪を表す語にいたっては,synn のほか mān, firen, leahtor, wōh, scyld と,実に多彩な本来語が並びます.最後の審判は素朴に Doomsday.
借用語と本来語がこれほど豊かに並存していたことに驚かされます.そして本節は,重要な一般論で締めくくられます.他言語からの言語的影響は,取り込んだ借用語の数だけで測れるものなのか.むしろその影響が,言語自身の内なる創造性をどれだけ刺激し,本来語の資源をどれだけ引き出したかにこそ,真の意義があるのではないか.この節は,そんな問いを投げかけて終わります.今回精読した英文を以下に掲げましょう (Baugh and Cable, pp. 86--87) .
Latin diabolus was borrowed as dēofol (devil), but we find fēond (fiend) as a common synonym. Examples might be multiplied. Cross is rōd (rood), trēow (tree), gealga (gallows), and so forth; resurrection is ǣrist, from ārīsan (to arise); peccatum is synn (sin), while other words like mān, firen, leahtor, wōh, and scyld, meaning 'vice', 'crime', 'fault', and the like, are commonly substituted. The Judgment Day is Doomsday. Many of these words are translations of their Latin equivalents and their vitality is attested by the fact that in a great many cases they have continued in use down to the present day. It is important to recognize that the significance of a foreign influence is not to be measured simply by the foreign words introduced but is revealed also by the extent to which it stimulates the language to independent creative effort and causes it to make full use of its native resources.
この B&C 超精読シリーズの過去回は,「#5291. heldio の「英語史の古典的名著 Baugh and Cable を読む」シリーズが順調に進んでいます」 ([2023-10-22-1]) に過去回へのリンクがまとまっています.原書をお持ちの方は,ぜひ音声を副読本代わりに,今回の1節を味わっていただければと思います.

・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.

来たる10月6日(火)19:00--20:40を初回として,10週にわたりオンラインで東京言語研究所の理論言語学講座(後期)の一環として「史的言語学:英語史入門」を担当します.約1600年にわたる英語の歴史を概観し,現代英語が抱える「なぜ?」を歴史的な視点から解き明かしていく全10回の講義です.
全10回を通じて,英語史を貫く次の4つの潮流を,じっくりと掘り下げていきます.
1. 文法 --- 総合から分析へ.古英語は屈折の豊富な「総合的言語」,現代英語は屈折の乏しい「分析的言語」.この大転換がいつ,どの,そしてなぜ起こったのかを探ります.
2. 語彙 --- 語形成と借用のせめぎ合い.英語には,350以上の言語から語彙を借用してきた「世界的語彙」の側面があります.時代ごとに主役を変えてきた新語導入法の歴史に注目します.
3. 綴字と発音 --- 両者の乖離.中英語まではさほど乖離していなかった綴字と発音が,近代英語期にかけて大きく離れていった経緯を,単語の具体例とともに追います.
4. 標準化 --- 求心力と遠心力.英語は標準化と脱標準化のサイクルを繰り返してきました.このサイクルを踏まえ,21世紀に注目される "World Englishes" の現状について議論します.
東京言語研究所での英語史講座は何度目かになりますが,今回は従来の時代順での英語史概観ではなくテーマ別に英語史を眺めていくことになります.受講される方は,予習として英語史入門書などでオーソドックスな時代の流れをつかんでおくと,講座も理解しやすくなると思います.入門書については,「#6203. 英語史概説書等の書誌(2026年度版)」 ([2026-04-21-1]) もご参照ください.
本講座を含めた理論言語学講座のラインナップとそのシラバス (PDF) はこちらよりご覧ください.
申込期間は8月21日(金)から9月28日(月)午前10:00までとなっています.締切が目前に迫っていますので,ご関心のある方は東京言所の公式サイトよりお早めにお申し込みください.
この秋から年末にかけては,英語という言語を歴史的に眺めてみましょう.英語に限らず言語というものを新たな角度から見ることのおもしろさに気付いてもらえると思います.
この講座については Voicy heldio でも案内を放送しています.ぜひ「#1944. 10月6日(火)より東京言語研究所で全10回の英語史講座が開講」をお聴きください.
</p><p align="center"><iframe src="https://voicy.jp/embed/channel/1950/8181618" width="618" height="347" frameborder=0 scrolling=yes style=overflow:hidden></iframe></p><p>

拙著『なぜさんたんげん』こと『英語史で解く 英文法の謎 --- なぜ「3単現の s」をつけるのか』(NHK出版新書)は,6月10日の発売以来,読者・リスナーの皆さんに支えられて歩んできました.発売直後から呼びかけてきた企画の1つが,「書店で本書を見かけたら,ぜひ目撃情報をお寄せください」という「なぜさんたんげん目撃マップ」です.この3ヶ月間,Voicy heldio ではほぼ毎日のように呼びかけを続け,hellog でも何度か中間報告をしてきました(nazesantangen_witness) の各記事を参照).皆さんから寄せられた書店での目撃情報をもとに,Google Map 上にピンをコツコツと立て続けてきた次第です.
この目撃マップ企画では,2段階の「全国制覇」目標を設定していました.第1次は,大まかな「地方ブロック」単位(北海道,東北,関東,中部,近畿,中国,四国,九州・沖縄の8ブロック)ですべてにピンが立つこと,第2次は,より精度の高い「都道府県」単位で47都道府県すべてにピンが立つことです.
第1次制覇は,「#6271. 「なぜさんたんげん目撃マップ」の第1次全国制覇達成!」 ([2026-06-28-1]) で報告したように,早くも発売2週間で達成していました.このたび,第2次制覇,すなわち都道府県レベルでの全国制覇も達成しましたので,ここにご報告いたします!(実は9月6日の時点で達成していましたので,報告が遅すぎました,すみません.)
制覇を決定づけたのは,heldio/helwa コアリスナーの umisio さんでした.熊本市のメトロ書店熊本本店に足を運んでくださり,本書が並ぶ書棚を確認してくださいました.これにより,書店の目撃情報が0件だった熊本県に1店が加わり,未達成の都道府県がゼロになりました.発売から3ヶ月というスピードでの第2次全国制覇達成について,著者として率直に驚いています.
記念すべき9月6日(日)23時30分時点の Google Map データを集計してみました.目撃された書店の数は,全国で137店.内訳を都道府県別・地方別にまとめると,次のようになります.
| 地方 | 都道府県 | 店数 |
|---|---|---|
| 北海道 | 北海道 | 2 |
| 東北 | 青森 | 1 |
| 岩手 | 1 | |
| 宮城 | 2 | |
| 秋田 | 1 | |
| 山形 | 1 | |
| 福島 | 1 | |
| 関東 | 茨城 | 4 |
| 栃木 | 1 | |
| 群馬 | 3 | |
| 埼玉 | 4 | |
| 千葉 | 4 | |
| 東京 | 26 | |
| 神奈川 | 13 | |
| 中部 | 新潟 | 1 |
| 富山 | 1 | |
| 石川 | 1 | |
| 福井 | 2 | |
| 山梨 | 1 | |
| 長野 | 3 | |
| 岐阜 | 1 | |
| 静岡 | 3 | |
| 愛知 | 6 | |
| 三重 | 2 | |
| 近畿 | 滋賀 | 1 |
| 京都 | 3 | |
| 大阪 | 9 | |
| 兵庫 | 2 | |
| 奈良 | 1 | |
| 和歌山 | 1 | |
| 中国 | 鳥取 | 2 |
| 島根 | 2 | |
| 岡山 | 1 | |
| 広島 | 2 | |
| 山口 | 3 | |
| 四国 | 徳島 | 1 |
| 香川 | 1 | |
| 愛媛 | 3 | |
| 高知 | 1 | |
| 九州・沖縄 | 福岡 | 2 |
| 佐賀 | 1 | |
| 長崎 | 5 | |
| 熊本 | 1 | |
| 大分 | 1 | |
| 宮崎 | 1 | |
| 鹿児島 | 2 | |
| 沖縄 | 6 |
| 系列 | 店数 |
|---|---|
| 紀伊國屋書店 | 23 |
| くまざわ書店 | 21 |
| ジュンク堂書店(MARUZEN&ジュンク堂含む) | 16 |
| 丸善(単独店舗) | 8 |
| 未来屋書店 | 8 |
| 三省堂書店 | 6 |
| 明屋書店 | 5 |
| 大垣書店 | 4 |
| TSUTAYA(ブックエース/ヤマト屋等の併記含む) | 4 |
| リブロ | 3 |
| 今井書店 | 2 |
| 有隣堂 | 2 |
| 球陽堂書房 | 2 |
| メトロ書店 | 2 |
| 谷島屋 | 2 |
| 八重洲ブックセンター | 2 |
| 慶應生協(三田購買部・日吉店) | 2 |
| 九大生協 | 1 |
| 文教堂 | 1 |
| 宮脇書店 | 1 |
| その他(独立系・単独店) | 23 |
学術アウトリーチに関するキーワードを語源で読み解くシリーズ.昨日の記事「#6358. content 「中身」 --- hel活コンテンツを生み出していくことについて」 ([2026-09-23-1]) で,英単語 content の語源をたどるなかで,ラテン語動詞 tenēre 「持つ,保つ」に行き着いた.今日はこの tenēre つながりで,もう1つの基本語 continue を取り上げたい.
continue 「続く;継続する」は,同語義のラテン語動詞 continuāre に由来し,フランス語を経由して中英語に借用された語である.このラテン語動詞自体は,より基本的な動詞の過去分詞に基づく派生物であり,おおもとの動詞は continēre (昨日の content の記事を参照),その過去分詞は continuus である.つまり,少しく追加的な派生を挟むものの,昨日取り上げた content/contain と,本日注目している continue とは同根語なのである.実際,『英語語源辞典』によると,14--16世紀においては,continue と contain は,意味はだいぶん異なるように思われるが,しばしば混同されたという.
continue は,英語に入ってきた当初より「続く;継続する」の意味を持っていた.その点では,中英語期であれ現代であれ,日本語としては「継続する」と翻訳・解釈しておいてかまわない.しかし,ラテン語の原義まで意識すると,ラ・仏・英語に脈々と受け継がれてきた continue の継続観と,日本語の「続く」の継続観とはだいぶん異なっているように思われる.
日本語の「続く;継続する」は,一度始めた物事を途中で中断せずに長らくつなげていくという語感が強い.さらに現代的な価値観を含めるのであれば,ただ続けるのではなく,常に刷新しながら再生していくという進歩的な語感すらある.日本の諺「継続は力なり」は,このような語感,あるいは道徳観の上に成立しているといってよいのではないか.
ところが,ラテン語の continuāre なり,さらに基本的な continēre なりは,どちらかというと原義は「持ちこたえる」に近い.変わらず保ち続ける,といった語感だ.
「続ける」というと,つい何か新しいことを積み重ねながら前進するというイメージを抱きがちだ.特に現代のような変化の時代においては,そのままの持続では足りず,進化しながら継続していくことが重要だと叫ばれる(この考え方は現代日本のビジネス書かぶれかもしれないが).しかし,ラ・仏・英語の continue の語源が伝えるのは,昨日の記事で述べたように,あくまで「雑多な物をバラバラにならないように容器の中にとどめ置く」という発想である.
英語史のアウトリーチ活動を何年も「続けて」きたが,振り返ってみれば,日々新しいことを付け加えようと努めてきた側面はあるものの,それ以上に重要なこととして,「英語史はおもしろい」という1つの軸に基づいて発信することを,途切れさせずに「持ちこたえる」営みだったようにも思う.
本ブログを始めとする英語史のアウトリーチ活動を続けていると,毎日どんなコンテンツにしようかと悩む.慢性的なネタ切れ状態が続いており,これが解消されることはあまりない.日々,というよりも四六時中ネタ探しをしている感覚がある.日本語では,このように「ネタ」といったり「コンテンツ」といったりするが,前者はテーマに力点があり,後者はできあがった成果物を指すときに使うことが多いように思われる.
「コンテンツ」というカタカナ語は使い勝手がよい.ブログというメディアだったら「記事」,音声配信だったら「配信回」,動画だったら「動画」などと呼び分けるところを,「コンテンツ」だとひっくるめて表現できるので便利なのだ.ただし,書籍,雑誌記事,ラジオ番組,テレビ番組,映画などの旧メディアの成果物を指して「コンテンツ」という慣用はあまりないように思われる.ウェブを通じて展開される新メディアにふさわしい語感がある.
このカタカナ語のソースである英単語 content にも「ウェブ・コンテンツ」を指す語義もあるが,もっと一般的に「内容(物)」を指すことができる.注意すべきは,「バッグの中身」や「目次(=本の中身)」の意味で複数形 contents を用いることはよくあるが,多くの用例において不可算名詞として -s なしで使われるのも普通であることだ.上で述べた新メディアの成果物は,英語では contents ではなく不可算名詞的に用いられる content であり,1つ2つと数えたいときには content item(s) のように単位名詞をつけるのが普通だろう.
さて,content の語源を探ってみよう.ラテン語の動詞 continēre "to hold together" に遡る.「雑多な物をバラバラにならないように容器の中にとどめ置く」というイメージだ.このラテン単語は,動詞としてはフランス語経由で中英語後期に英語に入り,contain となっている(これに -er を付すと container 「容器,コンテナ」となる).一方,同じラテン語動詞の過去分詞に由来するのが,今回注目している content である.英語では16世紀前半に初出している.「なかに含まれているもの」の原義から「内容(物)」を意味するようになった.
おもしろいのは,同じラテン語形が,英語で「満足した」を意味する形容詞 content をも供給していることである.むしろこの形容詞のほうが,英語での初出は100年以上早い.そこから,この形容詞の品詞転換によって名詞が生まれたのではないかと考えられている.
しかし,ラテン語のもとの動詞の意味「一緒に保持する」から,名詞語義「内容」が派生することは理解できたとしても,形容詞語義「満足した」についてはどうだろうか.私は調べてみるまでは,「心が良い内容で満たされる」から「満足した」なのだろうとてっきり思っていた.しかし,どうやら事情が異なるようだ.
ラテン語動詞 continēre には,もう1つ異なる語義があった.「制限する,抑制する」である.容器のなかに納めるということは,閉じ込めて身動きできないようにするということである.対象が物ではなく人だと,分かりやすくなるだろう.その過去分詞の意味は「制限・抑制された」となる.そして,ここがとても重要な意味変化なのだが,「制限・抑制された」とは,ネガティブに見れば束縛された状態だが,ポジティブに見れば「つましくも,それなりに満たされている」状態ともいえる.老子のいう「知足」,すなわち「足るを知る者は富む」という人生観に近い.確かに同じ「満足した」でも,satisfied はストレートだが,content は控えめな満足感である.
私が毎日のhel活で作り届けているコンテンツについて,自分としては必ずしも満足してないことが多い.もっとよい書き方,語り方があったのではないかと,毎回どこかで物足りなさを感じている.しかし,考えてみれば,この「満ち足りなさ」こそが,次はもっとよいコンテンツを作ろうとする原動力になっているのかもしれない.満足しきってしまわないこと,satisfied ではなく content ほどの満足感で満足することが,継続の秘訣なのかもしれない.
語源というと,1つの単語の来歴をひたすら遡っていく「縦」の探究をイメージしがちです.しかし,意味に注目した類義語の関係など,語彙の「横」の広がりに目を向けることでも,英単語のおもしろさは十分に味わえます.そんな視点を存分に盛り込んだのが,sorami さんによる「授業で使える!中学生向け英語語源クイズ」シリーズの第18弾「授業で使える! 中学生向け英語語源クイズ#18~train/king/人/語順~」です.9月19日に公開された新作を紹介しましょう.
まずは train, coach, bus という身近な乗り物の名前をめぐる出題です.単語ごとの語源を丁寧に追うだけでなく,coach と train がそれぞれ別の経路をたどりながら,現代英語ではどちらも「指導者,コーチ」という意味へと収斂していく様子が示されており,語源の縦の深掘りに終始しない,語彙の横の広がりに注目した構成になっています.単語どうしを線ではなく面で捉える視点を養ってくれる好例です.
続くのは,king にまつわる問題です.「○○の王様」を意味する比喩表現から始まり,さらに視野を広げて,英語,フランス語,ドイツ語など複数の言語における王の名前の対応関係へと話題が及びます.同じ人物を指す名前が言語ごとにどのように姿を変えるのか,という対照言語学的な視点は,中学生にとっても新鮮な驚きとなりますね.
さらに,person, people, man, human という「人」を表す複数の英単語を比較する問題も用意されています.似たような意味をもつ単語がなぜこれほど複数併存しているのか,その背景には借用の重なりという英語語彙史ならではの事情が潜んでいます.語彙どうしの意味の守備範囲の違いを見極めさせる出題です.
そして今回最後に控えているのは語順の問題です.世界の諸言語を,主語・動詞・目的語の並べ方によって類型的に比較するという,もはや単なる「英語語源クイズ」の枠には収まらない内容にまで踏み込んでいます.
英語史において語順に関する話題は最重要テーマの1つです.現代英語は語順が厳格に固定された言語ですが,古英語期には名詞の格変化が豊かだったため,語順は比較的自由でした.屈折語尾が衰退する過程で語順そのものが文法機能を担うようになり,現代のような固定語順が確立していったのです.このあたりの語順をめぐるダイナミックな変化については,拙著英語史で解く 英文法の謎 --- なぜ「3単現の s」をつけるのか(NHK出版)の第1章第1節でも詳しく解説しています.今回のクイズと合わせてお読みください,「英語のなぜ」の背景にある歴史のロマンがより立体的に見えてくるはずです.
今回もまたまた,作者の sorami さん自ら「授業の小ネタ,ウォームアップ,グループ活動などに自由に使っていただければ幸いです.ALT の先生を巻き込むのもありですね!」と呼びかけてくださっています.pdf 形式の印刷用資料も用意されていますので,英語の教材として学校の授業やサークルなどですぐにでも活用できます.
sorami さんのクイズ・シリーズの主な典拠となっているのは,刊行から1年3ヶ月ほどが経つ『英語語源ハンドブック』(研究社)です.今年の6月30日には物書堂より『英語語源ハンドブック』アプリ版 (iOS) も発売されていますので,ぜひこちらよりチェックしてみてください.
・ 唐澤 一友・小塚 良孝・堀田 隆一(著),福田 一貴・小河 舜(校閲協力) 『英語語源ハンドブック』 研究社,2025年.
・ 堀田 隆一 『英語史で解く 英文法の謎 --- なぜ「3単現の s」をつけるのか』 NHK出版〈NHK出版新書〉,2026年.

今週末,9月26日(土) 15:30--17:00に,朝日カルチャーセンター新宿教室にてオンライン講座が開かれます.昨年度より継続しているシリーズ「歴史上もっとも不思議な英単語」の夏期第3回(通算第18回)となり,夏期クールの締めくくりの回です.今回は「through を探って中英語原文の世界へ」と題して,中英語期の綴字事情を象徴するこの1語に迫ります.
現代英語の前置詞・副詞 through (#FF5E;を通り抜けて)は,誰もが知る基本語です.ところが後期中英語期の綴字を丹念に集めていくと,驚くべき事実に突き当たります.私が確認した限りで516通りもの異なる綴字が存在するのです.「#53. 後期中英語期の through の綴りは515通り」 ([2009-06-20-1]) で紹介して以来,折に触れて話題にしてきた「515通りの through」ですが,2025年に516通り目の綴字(þurrh)が見つかったことは,「#5738. 516番目の through を見つけました」 ([2025-01-11-1]) で報告した通りです.今回の講座では,この驚異の数字を入口に,中英語期の写字生たちの綴字事情を探ります.through が音位転換 (metathesis) の代表選手とされていることや,<-ough> という綴字を共有しながら発音がまるで異なる though, enough, cough, plough などの仲間たちにも触れる予定です.
第2のポイントは,through の語源的な仲間たちです.実は through と thorough は同一語源から分かれた2重語 (doublet) の関係にあり,動詞 thrill (原義は「(穴を)貫く」)とも語根を共有します.『英語語源辞典』の各項目を突き合わせながら,この語族のつながりを確認します.
さらに,語源はまったく異なるものの,through に負けず劣らず異綴字・異形の乱立という運命をたどった単語として borough を取り上げます.-borough, -burg, -burgh, -bury と,地名接尾辞として地域ごとに異なる形を今に残す borough 系との対比を通じて,through の綴字の乱立が中英語期という一時期に集中して噴出し,やがて1つに収束した時間軸の産物であるのに対し,borough の異形は複数の地域方言の違いをそのまま反映して現在まで並存する空間軸の産物であることを見ていきます.
第3のポイントは,こうした綴字の乱立がなぜ生じたのかという歴史的背景です.1066年のノルマン征服により,英語は公的な書き言葉の座をフランス語に奪われ,長らく話し言葉の世界に押し込められました.13世紀以降,英語が再び書かれるようになったとき,書き手たちは規範となる標準綴字をもたぬまま,各自の「訛った」方言の発音に即して思い思いに綴ったのです.講座では,ノルマン征服から英語の復権に至る略史を年表とともにたどりながら,なぜこれほど自由奔放な綴字が許されたのか,当時の言語事情を探ります.
講義の後半には,市河三喜・松浪有(著)『古英語・中英語初歩〈新装復刊〉』(研究社,2026年)の II. The Ormulum より,"Dedication" の冒頭部分を中英語原文で読んでみます.綴字潔癖症ぶりを見せる書き手 Orm の,一風変わった綴字の癖にもぜひ注目してください.講義資料で原文や文法解説をサポートしますので,中英語原文に触れたことがない方でも安心してご参加いただけます.
講座の詳細とお申込みは,朝カルのこちらの公式ページをご覧ください.なお,今回で夏期クールは最終回となりますが,10月24日(土)からは,秋期クール(全3回)として「歴史上もっとも不思議な英単語」シリーズが継続します.初回は「will を探って中英語原文の世界へ」です.
また,10月10日(土)には,単発の朝カル講座,拙著『なぜさんたんげん』出版記念の特別講座「英語学習の伏線回収の鍵は「英語史」だった!」も開講する予定です.皆様のご受講をお待ちしています.
(以下,後記:2026/09/23(Wed))
今回の講座については Voicy heldio でも案内を放送しています.ぜひ「#1942. 8月22日(土)の朝カル講座は through の516通りの魅力その他をすべて語ります」をお聴きください.
・ 市河 三喜,松浪 有 『古英語・中英語初歩〈新装復刊〉』 研究社,2026年.
・ 唐澤 一友・小塚 良孝・堀田 隆一(著),福田 一貴・小河 舜(校閲協力) 『英語語源ハンドブック』 研究社,2025年.
・ 寺澤 芳雄(編集主幹) 『英語語源辞典』新装版 研究社,2024年.
Baugh and Cable の名著 A History of the English Language, 6th ed. を,helwa の Taku さんこと金田拓さん(帝京科学大学)さんとともに1文(いな1語)ずつ読み進めていく「超」精読会.「#1939. 英語史の古典的名著 Baugh and Cable を読む (65-5) with Taku さん --- helwa 北千住オフ会より」です.
前回は「洗礼」「聖餐」「捧げ物」といった単語が,借用語に頼らず本来語の意味拡張によって表現されていたことを見ました.今回はその射程がさらに広がります.対象は「聖典」「福音」「三位一体」,そして神・キリスト・聖霊そのものを指す語彙です.Scriptures に対応する gewritu,evangelium に対応する godspell,Trinity に対応する þrines(3性).神という概念だけでも,scieppend(形づくる者),fruma(創始者),metod(測る者)という複数の本来語が並行して用いられていました.さらに fæder, dryhten, wealdend, þēoden, weard, hlæford といった,父・君主・支配者・守護者を意味する語群までもが,神やキリストを指す同義語として重ねて用いられています.
興味深いのは,godspell が現代英語に gospel としてそのまま生き残っている一方,gewritu は廃れ,ラテン系の Scripture(s) にその座を譲ったことです.同じように古英語において本来語で置き換えられた語彙のなかにも,その後の歴史を通じて生き残ってきたものと消えていったものがあります.この明暗にこそ,英語史の醍醐味が宿っています.今回精読した英文を以下に掲げます (Baugh and Cable, p. 86) .
The term Scriptures found its exact equivalent in the English word gewritu, and ēvangelium was rendered by godspell, originally meaning good tidings. Trinity (L. trinitas) was translated þrines (three-ness), the idea of God the Creator was expressed by scieppend (one who shapes or forms), fruma (creator, founder), or metod (measurer). Native words like fæder (father), dryhten (prince), wealdend (ruler), þēoden (prince), weard (ward, protector), and hlāford (lord) are frequent synonyms. Most of them are also applied to Christ, originally a Greek word and the most usual name for the Second Person of the Trinity, but Hǣlend (Savior) is also commonly employed. The Third Person (Spiritus Sanctus) was translated Hālig Gāst (Holy Ghost).
「対面/オンラインで議論に参加してみたい」という方は,ぜひ Voicy のプレミアムリスナー限定配信チャンネル「英語史の輪 (helwa)」の門を叩いてみてください.古英語話者たちの豊かな言語感覚を,皆さんもぜひ一緒に味わってみませんか.過去回は「#5291. heldio の「英語史の古典的名著 Baugh and Cable を読む」シリーズが順調に進んでいます」 ([2023-10-22-1]) にまとまっています.

・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.

ダブリン滞在中の早朝ジョギングで出会った1コマをお伝えする,ダブリンの「旅hel」 (tabihel) シリーズ.市南部の Synge Street まで足を延ばし,George Bernard Shaw (1856--1950) の生家とされる建物を訪ねてみた.今ではごく普通に誰かが暮らしている住宅で,うっかり通り過ぎてしまいそうなほど何の変哲もない建物なのだが,玄関脇にはダブリン市による銘板がしっかりと掲げられており,ここが Shaw の生誕地であることを物語っていた.
Shaw の面影は,ダブリン市内の別の場所でも拝むことができる.Merrion Square West に面するアイルランド国立美術館 (National Gallery of Ireland) のホールに足を踏み入れると,Shaw その人がオーディオの案内とともに出迎えてくれるのだ.少年時代にこの美術館へ足繁く通って絵画を通じた美的感覚を養い,後年,自作の版権収入の一部を遺贈したのも Shaw 自身だった.生家の慎ましさとは対照的な,故郷ダブリンにおける Shaw のもう1つの居場所である.

Shaw といえば,綴字と発音の乖離 (spelling_pronunciation_gap) を痛烈に皮肉った ghoti = fish の小咄で広く知られている.もっとも,この例を発案したのは Shaw 自身ではなく,ある綴字改革者が挙げた例を Shaw が擁護したというのが実際の経緯らしいことは,「#15. Bernard Shaw が言ったかどうかは "ghotiy" ?」 ([2009-05-13-1]) で見た通りである.だが,Shaw にとって英語綴字の不合理は単なるジョークの種にとどまらず,生涯にわたる本気の問題意識だった.遺言のなかにまで綴字改革への企図を書き残し,多くの候補者から選ばれた Kingsley Read の手による新アルファベット Shavian Alphabet の考案を後押ししたことは,「#605. Shavian Alphabet」 ([2010-12-23-1]) で紹介した通りである.
しかし,Shavian Alphabet は,後世にほとんど影響力を及ぼさなかった.一般の英語使用者の綴字習慣を変えるには至らず,今では英語綴字改革史上の1エピソードとして記憶されるにとどまっている(「#5030. 英語史における4種の綴字改革」 ([2023-02-03-1]),「#5009. なぜバーナード・ショーの綴字ネタ「ghoti = fish」は強引に感じられるのか?」 ([2023-01-13-1]) も参照).
一方,本気ではなく皮肉として放たれた "ghoti" のほうは,時代を超えて今もなお世界中で語り継がれ,英語学習者が綴字と発音のギャップに感じる困惑を,多少誇張気味にではあるが,見事に代弁し続けている.
真剣に企てた改革案よりも,軽い皮肉のほうが長く生き延びる.綴字と発音のいたちごっこを長年見つめてきた身として,このねじれもまた,英語史のおもしろいところだなと思う.
私は長らく「英語史をお茶の間に」をモットーに英語史のアウトリーチ活動,「hel活」(helkatsu) を続けてきている.活動を始めた当初は,このブログが事実上唯一の発信の媒体 (medium) だったが,やがて書籍,雑誌,音声配信,動画配信,講演会などの様々な媒体 (media) で発信するようになった.今回は medium という単語の語源に注目してみる.
この単語は,ラテン語の形容詞 medius 「真ん中の」の中性形が名詞化したものに遡る.つまり「真ん中のもの」を意味した.このラテン単語は,ルネサンス期の16世紀後半に時代に似つかわしく学術用語として英語に入ってきた.幾何学用語として「平均」を,論理学用語として「中名辞」を意味し,堅めの語感をもっていたことが分かる.しかし,時を置かずに,すぐに非学術的な語義が展開していった.「真ん中」「媒体」「(情報伝達の)手段」などである.19世紀にはこの世とあの世を結びつける「霊媒(師)」の語義が加わり,20世紀にかけては新聞・ラジオ・テレビなどの大衆伝達手段が発達するに及んで,特に複数形 media が「マスメディア」を意味するようになった.
私がhel活で日々頼っている様々な媒体 (media) は,発信者である私と受信者である人々の「真ん中」に立つもろもろの道具である,という見方ができる.しかし,別の見方をすれば,私自身が英語史の世界やその知見と世の中の人々の中間に入って,両者を結びつけようとしている1つの媒体 (medium) として位置づけられることに気付いた(英語史界のいたこか!).
アウトリーチ活動において,その発信手段をブログにするのか YouTube にするのか,といった第1の意味での媒体について考えることは,もちろん大事である.しかし,どの手段でアウトリーチ活動を行なうかにかかわらず,発信している人自身が,実は第2の意味での媒体なのだ.自分自身が medium であることを認識し,その上で自分に合った media を見つければよいのではないか.ただし,「真ん中」というと華々しいセンターのイメージがあるものの,逆に「中途半端;良くも悪くもない,凡庸な」にも通じるので注意が必要である.
なお,今回の単語は印欧語根としては *medhyo- に遡り,ここから様々に派生して,amid, middle; mean, mediaeval, median, mediocre, Mediterranean, meridian, intermediate; mse(o)- などの「真ん中」に関する単語が英語語彙に収まっている.
heldio/helwa コアリスナーの sorami さんによる,『英語語源ハンドブック』(研究社)に基づいた英語語源クイズ・シリーズが,隔週土曜日のペースで着実に更新を重ねています.9月5日に公開された最新回は,「授業で使える! 中学生向け英語語源クイズ#17~比較級・最上級~」と題する第17弾です.今回は比較級という,英文法の授業で必ず扱われる基本文法事項を切り口にした構成になっています.
全7問というボリュームです.早速中身に触れてみましょう.冒頭を飾るのは,near と next の語源的な関係を問う問題です.near はもともと nigh「近い」の比較級でした.現代英語の私たちが単純な原級として使っている near は,実は由来をたどれば比較級だったのですね.そして next はその最上級形にあたります.同じ発想は,first と last にも見られます.両語とも,古い時代には別語幹の最上級として機能していたものが,のちに独立した基本語として定着しました.
中盤では,ラテン語由来の比較級表現に焦点が当てられます.senior や major ,minor ,junior といった語は,形こそ現代英語のなかでは原級のように使われていますが,もとをたどればラテン語の比較級語尾 -ior を伴う正真正銘の比較級です.また,音楽用語として日本語にもすっかり定着している fortissimo や pianissimo は,イタリア語の最上級語尾 -issimo を伴う語形であることも紹介されています.「とても強く」「とても弱く」という意味は,実は文法的には最上級だったというわけです.普段何気なく使っている外来語のなかに,比較級・最上級の化石が埋め込まれているとは,なんとも興味深い話ですね.
後半では,Health is better than wealth. のような比較級を含むことわざの穴埋め問題や,futon ,hibachi ,satsuma といった,英語にそのまま取り込まれた日本語由来の語彙を扱う問題が並びます.日本語話者にとっては見慣れた単語が英語の辞書にそのまま載っているという事実に,改めて驚かされます.
そして締めくくりには,「現代の不規則動詞は,かつては規則動詞だった」という,英語史ならではの逆説的な事実に触れる問いが用意されています! 規則・不規則という現代の分類は,あくまで現代英語の断面を切り取った結果に過ぎず,通時的にみれば,むしろ多くの「不規則」のほうが,古い規則性の生き残りであることも少なくないのです.
sorami さんは今回も,「これからも『英語語源ハンドブック』をもとにした英語クイズを少しずつ投稿していきます.(隔週土曜日更新予定)」と結ばれています.全国の英語教員の皆さん,ぜひこのクイズを授業の小ネタやウォームアップにご活用ください.比較級・最上級という身近な文法事項の背後に,これほど豊かな歴史が眠っているとわかれば,生徒たちの英文法に対する見方もきっと変わるのではないでしょうか.
・ 唐澤 一友・小塚 良孝・堀田 隆一(著),福田 一貴・小河 舜(校閲協力) 『英語語源ハンドブック』 研究社,2025年.

ダブリンにゆかりのある文人を取り上げる「旅hel」 (tabihel) シリーズ.今回は,文人,政治家,そして主席司祭でもあった Jonathan Swift (1667--1745) に注目する.Gulliver's Travels 『ガリバー旅行記』の著者として世界的に知られる人物だが,英語史上重要なのは,むしろ別の顔のほうである.
一雨さっと降ったあと,急に日差しが戻ってポカポカ陽気になった午後,ダブリンの St Patrick's Cathedral に隣接する公園のベンチに腰掛けながら,この建築物の威容を眺めていた.この大聖堂は,アイルランドを代表する "National" を冠された,アイルランド国教会のなかでも別格の位置づけを与えられている教会だ.
名前の由来である St Patrick は5世紀にアイルランドへキリスト教をもたらした聖人で,アイルランドで最も愛され,尊ばれている人物である.大聖堂そのものは,1190年に,彼の布教にゆかりのあるダブリンのこの地に建てられた.すでに800年以上の歴史を数える.
この大聖堂と結びつけられる著名人が,もう1人いる.Jonathan Swift である.1713年に,この大聖堂の主任司祭に就任した.イギリス政界に深く関わっていた Swift が聖職者としてこの座に収まることには反対の声もあったというが,最終的にはこの職を務め上げた.大聖堂のなかには彼の墓があり,彼との関係がいまだ謎に包まれたままの女性 Stella とともに眠っている.大聖堂内は半ば Swift 博物館のような様相を呈しており,オーディオガイド付きの展示となっていた.
Swift は英語史の観点からも位置づけられる人物だ.英語史的には,1712年に英語アカデミーの設立を提案した政治家としての顔が重要である.すでにイタリアやフランスでは早々と母語を統制するアカデミーが設立されていたのに対し,イギリスにはいまだ存在しなかった.Swift は A Proposal for Correcting, Improving and Ascertaining the English Tongue と題する提案書を著し,英語を統制する公的機関の設立を訴えた.これは17世紀以来くすぶり続けてきたイギリスにおけるアカデミー設立運動の,事実上最後にして最大の試みだったといってよい(「#134. 英語が民主的な言語と呼ばれる理由」 ([2009-09-08-1]),「#141. 18世紀の規範は理性か慣用か」 ([2009-09-15-1]) を参照).
だが,この提案は結局は通らなかった.政敵による反発に加え,提案の理解者だった Anne 女王が1714年に急逝し,後ろ盾を失ってしまったことが大きいとわれる(「#2759. Swift によるアカデミー設立案が通らなかった理由」 ([2016-11-15-1]),「#3602. アン女王と英語史」 ([2019-03-08-1]) を参照).結果として,英語はついに中央集権的なアカデミーをもたない言語となったのである.フランス語における l'Académie française のような「上から」の統制機関が存在しないまま,18世紀後半にかけては文人・知識人による「下から」の慣用重視の規範が形成されていくことになる.18世紀初頭の時点では,英語はまだ国際的にはフランス語の後塵を拝していたが,後に世界中に広がっていく英語が,ついぞ1つの機関に統制されることのない野放しの言語として育っていく分岐点が,まさにこの1712年にあったのだと思うと感慨深い.
なお,Swift には英語史上もう1つのおもしろい顔がある.大の「短縮語」嫌いで,clipping を非難する文章まで書いているのだ(「#1947. Swift の clipping 批判」 ([2014-08-26-1]) を参照).
大聖堂のすぐ裏手にはアイルランド最古の公開図書館 Marsh's Library (1701年)があり,そこへは Swift, Joyce, Stoker もかつて通ったという.私が図書館に訪れたとき,そこでも Swift 展が開かれていた.大聖堂と図書館を合わせて「Swift 博物館」をめぐった感がある.Gulliver's Travels の作者,大聖堂の主任司祭,という以外の顔として,英語史における Swift の存在感を,多くの方に知っていただきたい.
アウトリーチ活動に関連する英単語について語源小咄を展開するシリーズ.hel活として日々 hellog を更新し,heldio を配信する.これはすっかり私の routine 「日課,日常業務」となっている.今回は「ルーチン」として日本語でも使われるようになった英単語の語源に迫る.
routine は17世紀半ばにフランス語から借用された語で,route 「道,ルート」に接尾辞 -ine が付いた語形成である.route 自体は,さらにラテン語の rupta (via) 「切り開かれた(道)」に行き着く.rupta は動詞 rumpere 「破る,切り開く」の過去分詞(rupture 「破裂」や bankrupt 「破産した」にも同根が見える)であり,route とは,「(森や荒れ地を)切り開いてできた(道)」を意味したようだ.
今回注目している routine は,この「切り開かれた」道がたどった末路を体現している語と考えられる.当初は切り開かなければならない道だっが,いったん切り開かれると,そこは人々が頻繁に便利に行き交う道に化ける.むしろ,踏み固められた道,決められた道になくのだ.荒々しくも勇ましい原初の rupta の語感が,すっかり牙を抜かれてしまったかのようだ.
この routine の語源は,日課,そしてそれを身につけることの本質を表わしているように思われる.あることを日課として習慣化することは,道を切り開くがごとき困難を伴う.しかし,一旦最初の困難を乗り越えれば,むしろ水や空気のような存在に近づき,さほどの困難を感じずにこなせるようになる.しかし,だからといって大幅に楽になるかというと,必ずしもそうでもない.半ば自然にできるようになるかもしれないが,おもしろいかどうかば別問題だからだ.ルーチンワークは,えてして,つまらない,味気ない,甲斐がない.踏み固められた道であっても,少なくとも「歩く」ことはしなければならないが,歩く行為はたいていの場合それ自体が愉快なわけでもない.
私は,いくつかのhel活を日課として定着させようとしてきたが,そのたびごとに最初は道を切り開く困難を感じた.今では踏み固められた道を歩むことができるようになり,ぐんと困難は減ったように思う.しかし,歩みを続けていくこと自体は,それはそれで大変なことである.油断すればすぐに荒れ地に戻ってしまうのではないかという懸念がある.

先日の記事「#6341. ha'penny 「半ペニー」 --- ダブリンの Ha'penny Bridge より」 ([2026-09-06-1]) で「明日も明後日もこの橋を渡ることにしよう」と書いたが,実際には毎朝のジョギングのコースは日によって変わる.すでに定番コースの1つでもあるのだが,今朝は Ha'penny Bridge からさらに下流方面に走り,Liffey 川が海へと近づいていく Docklands 地区で,異彩を放つ橋を横目に走った.Samuel Beckett Bridge である.2009年に竣工の比較的新しい橋だ.アイルランドの国章でもあるアイリッシュ・ハープ (Irish harp) を横倒しにした形そのものの橋だ.橋は北岸と南岸の通りを結ぶ交差点も兼ねており,信号待ちがてら,ここでひと息つくことが多い.
この橋の形が象るハープは,アイルランド共和国の紋章やギネスビールのロゴにも用いられる国民的な象徴だが,橋のたもとに立つと,その意匠の大胆さに見とれる.ちなみに,最近の heldio は,この早朝ジョギングの復路にて,この橋の付近で屋外収録を行なうことが増えている.川の風にあおられながらの収録は,臨場感があってなかなか気に入っている.
さて,この橋の名の由来となった Samuel Beckett (1906--89) は,ダブリン近郊 Foxrock の生まれ.Waiting for Godot (原題は仏語 En attendant Godot, 1952年)をはじめとする不条理演劇の傑作で知られ,1969年にノーベル文学賞を受賞したアイルランド出身の作家である.英語史の観点からも見逃せないのは,Beckett はフランス在住作家だったが,英語とフランス語の両言語で創作し,しかも自作を自ら他方の言語へと訳し直す自己翻訳を生涯にわたって実践した稀有な作家だという点だ.削ぎ落とすように言葉を切り詰めていく彼の作風は,2つの言語のあいだを往還するなかで,いっそう研ぎ澄まされていったのだろうか.
Beckett のよく知られた箴言の1つに,次の文句がある.晩年の散文作品 Worstward Ho (1983) の冒頭の表現だ.
Ever tried. Ever failed. No matter. Try again. Fail again. Fail better.
「やってみた.失敗した.それがどうした.また挑戦せよ.また失敗せよ.もっとうまく失敗せよ.」今日では Fail better. の部分だけが自己啓発やビジネスの文脈で独り歩きし,すっかり紋切り型のスローガンと化している.しかし,やはり味わいがある.
この教訓は,あらゆる失敗に等しく当てはまるわけではないだろう.取り返しのつかないほど大きな失敗をしてしまうと,そう簡単には次の挑戦に向けて立ち上がれないものだ.しかし,やり直しのきく小さな失敗であれば,この箴言はそのまま生きた指針になる.失敗そのものをいちいち気に病まず,成功するまで淡々と続けよ,ということだ.
ただし,実践する側にとって本当に難しいのは,まさにそこである.次の挑戦が実るのが1週間後なのか,1ヶ月後なのか,1年後なのか,それとも10年後なのか,誰にも前もっては分からない.No matter. と割り切れるだけの余裕は,見通しの立たない時間の長さの前で,しばしば試される.
思えば,アイルランド出身の作家には,Beckett にせよ Swift にせよ,寸鉄人を刺す箴言の名手が数多く出ている.先日立ち寄った土産物屋の店先にも,アイルランド出身作家たちの箴言をあしらった「箴言マグネット」なるものがたくさん並んでいた.1つ1つ手にとって読むたびに思わずウームとうなってしまい,買って帰って冷蔵庫にでも貼ろうかと,本気で悩んでしまうほどだ.
キリスト教の中核をなす概念を,ラテン語からの借用に頼らず,本来語の意味を巧みに転用することで表現していく.そんな古英語期の言語的創意工夫を物語るテーマを,Baugh and Cable の名著 A History of the English Language, 6th ed. を通じて Taku さんと読み進める「超精読会」の最新回でお届けします.
今朝の heldio 最新回は,「#1932. 英語史の古典的名著 Baugh and Cable を読む (65-4) with Taku さん --- helwa 北千住オフ会より」です.今回もナビゲーターは,helwa/heldio ではお馴染みの Taku さんこと金田拓さん(帝京科学大学)が務めてくださいました.
今回は前回に引き続きキリスト教に関連する動詞や名詞が本来語で表現される例が挙げられています.具体的には「洗礼」「聖餐」「捧げ物」という,キリスト教の教義の核心に触れる単語群です.借用語ではなく,本来語の意味の拡張・応用によってどう表現されたかが読みどころです.
fullian(清める)から派生した fulluht(洗礼)は,fulluht-bæþ(洗礼盤)や fulluht-fæder(名付け親)など,数々の複合語を生み出しました.また,ゲルマン語本来の hūsl(聖餐)や lāc(捧げ物)が,キリスト教の儀式を指す語として転用されている点も要注目です.異教の語彙が新しい宗教的な意味の器として再利用される --- ここに,古英語話者たちの言語的な戦略が見て取れます.今回精読した英文を以下に掲げましょう (Baugh and Cable, p. 86) .
For baptize (L. baptizāre), the English adapted a native word fullian (to consecrate), while its derivative fulluht renders the noun baptism. The latter word enters into numerous compounds, such as fulluht-bæþ (font), fulwere (baptist), fulluht-fæder (baptizer), fulluht-hād (baptismal vow), fulluht-nama (Christian name), fulluht-stōw (baptistry), fulluht-tīd (baptism time), and others. Even so individual a feature of the Christian faith as the sacrament of the Lord's Supper was expressed by the Germanic word hūsl (modern housel), while lāc, the general word for sacrifice to the gods, was also sometimes applied to the Sacrifice to the Mass.
1文ずつ丁寧に読み解いていくこの営みは,地味に見えて,実は英語史のおもしろさの核心に触れる時間でもあります.過去回のアーカイブは「#5291. heldio の「英語史の古典的名著 Baugh and Cable を読む」シリーズが順調に進んでいます」 ([2023-10-22-1]) からたどれます.ご興味を持たれた方は,Voicy のプレミアムリスナー限定配信チャンネル「英語史の輪 (helwa)」へもぜひ.

・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.

この秋,heldio の人気コーナー「やってます通信」でお馴染みのリスナー川上さんが,地元の新潟県三条市にて,英語史をテーマにした市民講座シリーズを開講されます! 中等教育の現場で長らく英語を教えてきた川上さんが,学校の授業では扱いきれない「なぜ?」を存分に語り尽くす全4回の連続講座です.詳細は,川上さんご自身による告知 note 「三条市にて講座を開講します」にも綴られています.
全4回の構成は,「数字のなぜ」(第1回・第2回),「複数形のなぜ」(第3回),「人称代名詞のなぜ」(第4回)という,いずれも英語学習者なら一度は素朴な疑問を抱いたことのあるテーマが並びます.身近な単語を糸口に,その背後に横たわる英語史の奥深さへと誘う構成になっており,英語がやや苦手な方から,学び直したい大人まで,幅広く楽しめる内容になること間違いなしです.
講座は,三条市が「市民ゼミ」と銘打っている企画の一環として開催されるます.概要は以下の通りです.
・ 日程:10月3日(土)を皮切りに,隔週で11月14日(土)まで全4回,いずれも土曜日 14:30--16:00 の時間帯.
・ 会場:三条市中央公民館 講義室
・ 受講料:無料
・ 定員:30名(応募多数の場合は抽選)
・ お申し込み:市民ゼミ 受講生募集より詳細をご確認下さい.明後日,9月14日(月)締め切りですのでお早めにどうぞ!
三条市民向けの企画ではありますが,居住地を問わず参加できるとのことです.遠方の方でもお申し込みいただけます.
実をいうと,今回の講座の趣旨や見どころについては,3日前の heldio の対談回にて,川上さんご本人と,市民講座の経験の豊富な kendama_player さんを交えて,たっぷりお話ししています.heldio 「#1928. この秋,川上さんの英語史講座が三条市で」 にて配信中ですので,講座に関心を持たれた方は,ぜひこちらの対談も お聴きいただければと思います.

『なぜさんたんげん』にまつわる新しい発信を2件.9月9日(水)と9月10日(木)の両日,NHK出版より,本書と連動した動画およびその動画に基づいたデジタルマガジン記事が公開されました.タイトルはいずれも「なぜ英語は「不規則」だらけなの? 「英語嫌い」に英語史が効く理由」です.動画は全4回の対談形式で構成されており,お相手は千代田区立九段中等教育学校主任教諭の黄俐嘉先生です.
今回のプロジェクトで特筆すべきは,プロデューサー,コーディネーター,脚本家,動画編集社,記事編集社,広報担当者――そのすべてを,『なぜさんたんげん』の編集を担当してくださった田中菜乃香さんお一人で担ってくださったという点です.八面六臂のご活躍に,著者として深く感謝申し上げます.今回の狙いは,今まさに英語が苦手な方,あるいはかつて「英語嫌い」だった方に,あらためて英語史のおもしろさを届けることにあります.
動画は全4回に分かれており,以下よりご視聴いただけます(各5分程度).
デジタルマガジンの記事は,前半・後半の2本立てで公開されています.
・ 前半:なぜ英語は「不規則」だらけなの? 「英語嫌い」に英語史が効く理由
・ 後半:なぜ go の過去形は went なの? 英語への向き合い方が変わる,英語史という入り口
なお,来たる10月10日(土)には,朝日カルチャーセンター新宿教室にて『なぜさんたんげん』出版記念講座も予定されています(詳しくは「#6345. 10月10日(土),朝カルで『なぜさんたんげん』出版記念講座」 ([2026-09-10-1]) をご覧ください).今回の動画・記事とあわせて,1人でも多くの「英語嫌い」だった方に,英語史のおもしろさが届きますように!
関連して,昨日 heldio にて,今回の動画企画の狙いを田中さんと語り合った対談回[[「#1929. 「英語嫌い」に英語史が効く理由 --- NHK出版田中さんとデジマガ・動画公開記念対談」 も配信しています.デジマガ記事・動画とあわせて,ぜひこちらもお聴きください.
・ 堀田 隆一 『英語史で解く 英文法の謎 --- なぜ「3単現の s」をつけるのか』 NHK出版〈NHK出版新書〉,2026年.

1ヶ月後の10月10日(土)15:30--17:00,朝日カルチャーセンター新宿教室にて特別講座「英語学習の伏線回収の鍵は「英語史」だった! --- 『なぜさんたんげん』出版記念」を開催します.
この講座は,今年2026年6月10日にNHK出版新書より刊行された拙著『英語史で解く 英文法の謎 --- なぜ「3単現の s」をつけるのか』(略称「なぜさんたんげん」)の出版を記念しての開講となります.書籍の刊行から3ヶ月が経過し,すでに多くの方々にお手に取っていただいていますが,このたび朝日カルチャーセンター新宿教室の場をお借りして,皆さんに直接,英語史の魅力を語り尽くす機会を設けることになりました.
英語を学んでいて「どうしてこんな面倒なルールがあるんだろう」とため息をついたことはありませんか.現代の英語学習者を悩ませる複雑なスペリングや一見不合理に思える文法規則の数々ですが,その歴史をたどると,背後に潜む驚くほど人間臭いドラマが見えてきます.
本講座では,著書に登場する「妄想モード」や「縦棒地獄」といったキーワードを散りばめつつ,英語史という学問がいかに現代の学習者を暗記の苦しみから救ってくれるか,そしていかに「伏線回収」の快感をもたらしてくれるかを優しく解説します.英語がちょっと苦手な方から,学び直したい大人,そして英語史の沼にすでに片足を突っ込んでいる方まで,どなたでも楽しめる内容です.
講座の概要は以下の通りです.
・ タイトル:英語学習の伏線回収の鍵は「英語史」だった! --- 『なぜさんたんげん』出版記念
・ 日時:10月10日(土)15:30--17:00
・ 受講方法:教室(新宿)あるいはオンライン (Zoom) の自由選択.2週間の見逃し配信のサービスもあります.
・ お申し込み:こちらのページよりどうぞ.
・ 特典:会場受講者向け書籍販売およびサイン会あり
教室で,あるいはオンラインの画面越しに,皆さんとお会いできるのを楽しみにしています.当日ご都合のつかない方も,見逃し配信がありますのでぜひご活用ください.
『なぜさんたんげん』そのものと同様に,本書のる著者公式の特設ページも充実していますので,よろしくお願いします!

・ 堀田 隆一 『英語史で解く 英文法の謎 --- なぜ「3単現の s」をつけるのか』 NHK出版〈NHK出版新書〉,2026年.
英語史の魅力や奥深さを社会に届けるアウトリーチ活動を続けていると,よく「どうすればそんなに毎日更新を続けられるのですか?」と尋ねられることがある.お読みの hellog や Voicy heldio の毎日更新は,私にとって日々のライフワークとなっているが,特別な魔法があるわけではない.まさに「やり続ける」力,英語の俗語でいうところの grit (根性,気骨,ガッツ)に支えられている部分が大きいと感じる.
以前 heldio で「#569. 「やり切る」よりも「やり続ける」あるいは「ブレない」 --- grit と persistence」と題して話したことがある.この grit という単語の語源と歴史をひもといてみると,興味深い事実が見えてくる.
grit は古英語の grēot (砂,粗砂,砂利)に遡る古い英単語である.現代でも「粒子の細かい砂利」などを意味するが,ビジネス書や自己啓発書で話題になるような「(苦難に耐える)根性,気骨,ガッツ」という俗語的な意味で使われ始めたのは,19世紀前半のアメリカ英語でのことだ.OED によると,この語義での初出は1808年とされている.
では,なぜ「砂利」が「根性,気骨」といった精神的な意味を獲得するに至ったのだろうか.とりわけ俗語をめぐる語源学の常として,メタファーやメトニミーによる大きな飛躍を含んだ意味変化の道程を完全に復元することは容易ではないが,いくつかの連想の糸口を考えることができる.
1つは,動詞としての grit の存在である.「(砂や砂利をかみしめるように)歯をきしらせる,歯ぎしりする」という意味の動詞用法が1718年に初出している.慣用句 grit one's teeth (歯を食いしばる)も,この流れのなかにある.口の中に砂利が紛れ込んだときのあのジャリッとした不快な感覚が想起されるからだろうか,不快な状況や苦難を耐え忍ぶ「根性」へと意味が発展したのではないか,と私は見立てている.そのような不快さを正面から引き受け,それを乗り越えて維持する精神力こそが grit の本質なのではないかと考える.
学問や教育,あるいは広く知識を社会に開かせるためのアウトリーチ活動は,華やかな側面ばかりではなく,地道で,しばしば砂利を噛みしめるような苦痛が伴う.短期間で一気に「やり切る」ことよりも,多少の不快さや困難があっても長く「やり続ける」こと,ブレずにしつこく persistence を保つことこそが,結果として実を結ぶのではないか.
昨今は「根性論」というと忌避されがちな風潮もあるが,泥臭い grit を腹に据えておくことは,いつの時代も変わらず重要なことのように思わる.私もこれからも grit を胸に,英語史の魅力をコツコツと発信し続けていきたい.
昨日の記事 ([2026-09-07-1]) で少し触れ,「#1009. ルーン文字文化と関係の深い語源」 ([2012-01-31-1]) でも言及したことがあったが,英語の基本語 write は「引っ掻く,彫る,刻む」を意味する印欧語根 *(w)rei- に由来すると考えられている.
ゲルマン人たちが木片や石にルーン文字をガリガリと彫り込んでいた時代の名残が,この英単語の原義に宿っているわけである.興味深いことに,日本語の「書く」も「掻く」と同根とされており,文化は違えど,「文字を記す」という原初体験が「表面を傷つけて痕跡を残す」行為であったことを物語っている 時代とともに書くためのツールは進化し,キリやノミから紙と筆へ,鉛筆やペンへ,さらにはキーボードでのタイピングへと移り変わった.そして現代では,声で文字を打ち込む「音声入力」なる技術まで現われてきている.私自身,英語史のアウトリーチ活動やその他で,日々のもろもろの文章を作成しているが,音声入力の恩恵に浴する機会が増えている.
ふと立ち止まって考えると,これはなかなか倒錯的な事態である.声を出して入力しているのに,私たちはそれを「書く」と認識し,表現しているのだから.
手も動かさず,物理的な摩擦すら生じない音声入力のどこに write の要素があるのかという疑問が湧かないわけでもないが,ツールが変われど「書き言葉」として思考を結実させる過程の本質は変わらない.口頭で吹き込んだ粗削りな言葉から始めるにせよ,それを推敲し,読者に届く文章へと研ぎ澄ましていく作業は,やはり一筋縄ではいかないものだ.
文明の利器によって書く際に「引っ掻く」 物理的な苦労からは解放された現代の私たちであるが,いざ思考を研ぎ澄まして何かを write しようとするとき,結局のところ頭を掻きむしるような苦悶と向き合い続けている.人間が書く行為の歴史の皮肉であり,おもしろさでもある.
8月22日(土)に,朝日カルチャーセンター新宿教室にて今年度の夏期第2回(シリーズ通算第17回)となるオンライン講座を開講しました.テーマは「riddle を探って古英語原文の世界へ」です.「歴史上もっとも不思議な英単語」シリーズの一環として,現代英語で「なぞなぞ,謎」を意味する riddle を手がかりに,英語の読み書き文化の起源と古英語の詩の世界を受講者の皆さんと探訪しました.参考テキストには,引き続き市河三喜・松浪有(著)『古英語・中英語初歩〈新装復刊〉』(研究社,2026年)を活用しました.
講座の前半では,まず riddle と read の語源的な深いつながりと語誌に迫りました.両語は同根であり,印欧祖語の *ar(ə)- (合 わせる,整える)に遡ります.古英語の名詞 rǣdels は「助言,考慮,解釈,推測」など実に多義的でした.形態論の観点からは,本来語幹の一部だった末尾の -s が複数形語尾と勘違いされて脱落した「異分析」 (metanalysis) や,派生に伴う母音変化(3音節短化)の事例を確認しました.また,関連語として write (原義は「彫る,刻む」)や book (ブナの木 beech に由来),ゲルマン人の「彫る文字」であるルーン文字 (rune) やスコットランドの Ruthwell Cross の石碑銘文の話題を掲げ,かつてゲルマン人にとって文字を書く行為が物理的な「刻み込み」であり,読む行為が「意味を推測・解釈する」という精神的な営みであったことを浮き彫りにしました.
講座の後半では,古英詩の形式的特徴である2つの半行構造と「頭韻」 (alliteration) の規則について解説した上で,アングロサクソン人が愛好した「謎詩」 (riddle) というジャンルに焦点を当てました.具体的には『古英語・中英語初歩』の pp. 122--23 に収められている「本の虫,シミ」 (Bookworm, Riddle XLVII) の古英語原文を読解しました.「蛾が言葉を喰らったが,その言葉を飲み込んだところで少しも賢くはならなかった」という,書物の物質性と知恵の受容をめぐるアングロサクソン流のアイロニーとユーモアが効いた作品です.
次回,夏期クールの最終回(第3回)は,9月26日(土)に「through を探って中英語原文の世界へ」と題して開講されます.かつて516通り以上の綴字が存在したこの単語を軸に,中英語の原文を覗いてみます.
また,10月10日(土)には特別講座「英語学習の伏線回収の鍵は「英語史」だった! --- 『なぜさんたんげん』出版記念」も予定されています.こちらの特別講座の詳細・お申し込みは朝カルの公式ページよりどうぞ.
・ 市河 三喜,松浪 有 『古英語・中英語初歩〈新装復刊〉』 研究社,2026年.
・ 唐澤 一友・小塚 良孝・堀田 隆一(著),福田 一貴・小河 舜(校閲協力) 『英語語源ハンドブック』 研究社,2025年.
・ 寺澤 芳雄(編集主幹) 『英語語源辞典』新装版 研究社,2024年.
・ 堀田 隆一 『英語史で解く 英文法の謎 --- なぜ「3単現の s」をつけるのか』 NHK出版〈NHK出版新書〉,2026年.

早朝ダブリンの Liffey 川に架かる Ha'penny Bridge を渡ってみた.最初の語は /ˈheɪp(ə)ni/ と発音する.正式名称は Liffey Bridge というが,架橋当初の名は,先日の記事「#6337. 英語史上の Arthur Wellesley Wellington --- ダブリンの Wellington の生家と記念塔を眺めて」 ([2026-09-02-1]) で取り上げた,あの Wellington にちなんだ Wellington Bridge だった.竣工は1816年.イングランドの Coalbrookdale で鋳造された橋で,当時この地点を往来していた渡し舟に代わるものとして架けられた.
この橋が Ha'penny Bridge と呼ばれるようになったのは,渡橋に半ペニーの通行料が課されたことに由来する.渡し舟の運賃と同額の料金を橋の利用者にも課すことで,渡し舟業者への補償としたのだという.この通行料の徴収は,実に1919年まで100年以上にわたって続けられた.今では毎日のべ3万人がこの橋を渡っているというダブリンを代表する橋で,正式名称よりも,日々の暮らしに根ざしたこの俗称のほうが,今日まで広く定着しているというのも頷ける.現在の橋は2001年に修理されたものだが,橋の北詰のたもとには竣工の1816年をしっかりと刻んだ銘板が掲げられている.

さて,halfpenny という語は,古英語にまで遡る複合語で,早くも halpenige のような形で1語として認識されて使われていたようだ.これをもとにした複合語として,その価値・相当額を表す halfpennyworth なる単語もあり,古英語では healfpenigwurð のような綴字で用いられている.
橋の名前の綴字 ha'penny に見えるアポストロフィは,前半要素 half の音変化の履歴を物語っている.方言によって細部は異なり,変化の順序を厳密に確定することは難しいものの,おおよそ /half/ > /haʊf/ > /haːf/ > /haː/ > /hɛː/ > /heː/ > /heɪ/ というような経路が想定される./aː/ 以降の母音変化は,いわゆる「大母音推移」 (gvs) に沿った規則的な変化である.そして,語末における子音群 /lf/ の脱落が綴字上に反映されたのが,まさにこの橋の名に見える ha'penny というスペリングである.
こうした縮約は halfpenny に限った現象ではない.twopence /ˈtʌp(ə)ns/ や threepence /ˈθrɛpns/ のように,日常的に用いられる少額硬貨を表わす語にも,同様の発音上の縮約がしばしば見られる.使用頻度の高い語ほど,発音が摩耗しやすいという,英語史における一般的な傾向の例である.
小さな歩行者橋の名前の背後に,かつての渡し船の運賃,Wellington の名の記憶,そして音韻史が折り重なっている.明日も明後日もこの橋を渡ることにしよう.
英語史を広める活動,「hel活」 (helkatsu) を展開してきた私自身の経緯を振り返ってみると,「始める」ことの難しさを何度となく実感してきた.
「始める」を表わす英単語はいくつかあるが,基本語でいえば begin と start の2つがすぐに思い浮かぶ.両語とも古英語でも使われていた生粋の本来語である.ただし,両語が担ってきた語義は当初から異なっていた.「始める」という意味の座を,古くから一貫して占めてきたのは begin のほうである.古英語の動詞 beginnan は,接頭辞 be- と動詞 ginnan 「始める」が組み合わさったもので,接頭辞の機能は当時すでに弱まっており,中立的かつ一般的な「始める」を表わす語として,古英語から現代英語に至るまで安定的に用いられてきた.
一方の start は,古英語の動詞 styrtan に遡るが,その原義は「始める」ではなかった.もともとは「跳ねる,急に飛び出す,勢いよく動く」を意味する語だった.遡れば印欧祖語の語根 *ster- "stiff" に行き着き,原義は「硬直した,こわばった」である.この語根を共有する他の英単語としては stare, stark, starve など,確かにこわばった語感のものが多い.start は,こわばって固まっていたものが,急に弾け出るイメージの動詞だったようだ.
start の「急発信」と結びつけられる語義は,現代英語の慣用表現のなかにも残っている.たとえば I started at the sound of thunder. 「私は雷の音にぎくっとした」や She started to her feet. 「彼女はさっと立ち上がった」において,start は急発進のイメージを示している.時代とともに「急」の意味が背景化してきたことは確かだが,今でもこのような表現をみれば原義を思い起こすことができるだろう.なお,関連語 startle「飛び上がらせる,びっくりさせる」も急発進の原義のイメージを現代にまで伝えている.
学術アウトリーチ活動は,「始めよう」と身構えすぎると,かえって始められないものだと,つくづく思う.考えてみれば,hellog や heldio を始めたときも,事前にあれこれ準備をし,用心を重ねてから始めようとしていた.しかし,十分すぎる準備などそもそも得られないものだ.結局のところ,傍から見ても,自分自身の感覚としても,あれは begin というより start,すなわち「急発進」,もっといえば「見切り発進」だったと思う.
アウトリーチ活動には,ある程度の準備や計画はもちろん必要だろう.けれども振り返ってみて思うのは,物事は結局のところ「急発進」でしか始まらないものなのではないか.とりわけ新しい一歩を踏み出す挑戦において,覚悟や勇気が求められる場面においては,begin ではなく start にならざるを得ない.Let's begin! ではなく,Let's start! と言っておきたい.
英語史を広めるアウトリーチ活動を展開しているが,その「見返り」は何か.もちろん,英語史がお茶の間に広がっていくことが,そのまま私にとってのご褒美となるのだが,それは中長期的な話しである.短期的にはどうだろうか.あるいは,より個人的な報酬は得られるのか.この問題と関連して,今回は「報酬,報い,見返り」を意味する英単語 reward に注目してみたい.
reward の語源を遡ると,この語はまったく意外な単語と2重語 (doublet) の関係にあることに気づかされる.その相手とは,regard 「見なす,評価する」である.すなわち,起源をたどれば同一の語幹に行き着くにもかかわらず,別々の経路を通って中英語期に個別に借用され,異なる形態・意味に分化した2語である.具体的には,regard は中央フランス語から,reward はノルマン・フランス語から中英語期に,(部分的には関連づけられながらも)それぞれ独立して英語へ入ってきた.
形態的な分化の背景には,ノルマン・フランス語と中央フランス語のあいだの音対応がある.ノルマン方言はゲルマン語的な /w/ 音をよく保持していたのに対し,中央フランス語ではこれが /g/ 音へと変化した.同じ対応は war と guerrilla (「戦争」を意味するフランス語 guerre に指小辞のついたもの)や,ward と guard (いずれも「守衛」)の対にも見て取れる.英語は,この2つのフランス語方言由来の語形をしばしば両方とも取り込み,意味を分化させることで語彙を豊かにしてきた.
では,意味の方はどう分かれていったのか.いずれの語も動詞と名詞の用法があるが,regard は動詞としてはほぼ原義通り「じっくり見る,見なす,評価する」という語義を保持してきた.一方,reward は名詞として,まず「見なし,評価」を意味したが,そこから「好意的に」というプラスの価値観が付け加わった.意味の良化 (amelioration) の例といってよい.さらに,「好意的な見なしに対するご褒美」,つまり「報い,報酬」へと意味の特殊化 (specialisation) も経た.今日私たちが「見返り」と呼んでいるものの原義は,突き詰めれば「好意的なまなざしを向けられること」だったのである.日本語の「見+返る」と英語の「re- + ward/gard」の語形成もとてもよく似ている.
この語源をアウトリーチ活動に重ねてみると,なかなか示唆に富む.アウトリーチ活動における reward 「見返り」とは,本来,金銭的な対価というより,「好意的に見なされること」それ自体だったのではないか.今日の私たちが身近に受け取っている「見返り」は,考えてみれば,日々の SNS 上の「いいね」なのかもしれない.この語源に照らして考えれば,reward の本質は「どう見なされるのか」にこそある.

昨日の「#6337. 英語史上の Arthur Wellesley Wellington --- ダブリンの Wellington の生家と記念塔を眺めて」 ([2026-09-02-1]) に続き,本日もナポレオン戦争がらみの話題を1つ.イギリス軍のもう1人の英雄,ネルソン提督こと Horatio Nelson (1758--1805) を取り上げたい.Wellington が陸戦で勝利をイギリスにもたらした軍人として英語史上に象徴的に位置づけられるのだとすれば,海戦でいち早くイギリス軍に勢いをつけた Nelson もまた,同じように位置づけることができるだろう.
1805年のトラファルガーの戦 (Battle of Trafalgar) において Nelson はフランス・スペイン連合艦隊を打ち破り,自らは銃弾に倒れつつも,その後のイギリス海軍の優位を決定づけた.イギリスがヨーロッパの制海権を握ることになり,ナポレオンのイギリス侵攻の野望は打ち砕かれることになった.
先日,ロンドンのトラファルガー・スクエアに立つ「ネルソンの柱」 (Nelson's Column) を訪れた(上掲の写真).そして今,滞在中のダブリンの目抜き通り O'Connell Street には,高さ120メートルのランドマーク Spire がそびえ立っているのだが,実はこの塔には前身があった.かつて,そこにはもう1つの「ネルソンの柱」 (Nelson's Pillar) が建っていたのである.
ダブリンの「ネルソンの柱」は,1800年の連合法によってイギリスとアイルランドが合一した後の1809年,Nelson によるかの戦役の勝利を記念して建てられたものだった.ロンドンの「ネルソンの柱」(こちらは1840--43年に建設)よりも早く,ダブリンにこうした記念塔が建てられていたことになる.しかし,この柱は1966年,テロリストによって爆破され,姿を消してしまった.そこには,アイルランドの英雄ではなくイギリスの英雄を顕彰する柱だった,という影の事情が横たわっている.
ダブリンの柱が破壊された跡地には,長らく空白が残されていたが,2003年,特定の人物や国家を象徴しない,抽象的なステンレス製の尖塔,上述の Spire が新たに建てられた(下掲の写真).イギリスの英雄の記念柱から,誰のものでもない現代的なモニュメントへ.この置き換えそのものが,アイルランドとイギリスのあいだの複雑な歴史を雄弁に物語っているように思われる.

ロンドンでは今なお健在の「ネルソンの柱」と,ダブリンでは姿を消し,別のモニュメントに置き換えられた「ネルソンの柱」.同じ人物,同じ勝利を記念しながら,2つの都市でまったく異なる運命をたどったことになる.

2週間ほど前の早朝,ダブリン市内をジョギングをしていたところ,思いがけず Arthur Wellesley, 1st Duke of Wellington (1769--1852) の生家とされる建物を見つけた.Merrion Street 沿い,何の変哲もない街並みの一角に,控えめなプレートが掲げられているだけだったので,危うく素通りするところだった.1769年,この家で生まれたとされている.
せっかくの発見である.翌日の早朝ジョギングでは,西の郊外に広がる公園 Phoenix Park まで足を延ばしてみることにした.ここには,遠くからでも見える背の高い(62メートル!)オベリスク型の記念塔 Wellington Monument がそびえ立っている.1815年,ナポレオン戦争のワーテルローの戦 (Battle of Waterloo) におけるイギリス軍の英雄を顕彰するために19世紀半ばに建てられたものだ.2日連続でダブリンゆかりの英雄の痕跡を追いかけるジョギングとなった.

英語史のなかに Wellington を位置づけようとすると,何が言えるだろうか.2点ほど考えてみた.まず,軍人としての顔だ.彼は上述の戦役においてイギリスを勝利に導いた.この勝利がなければ,19世紀以降のヨーロッパにおける覇権の行方は違ったものになっていたかもしれない.ナポレオン戦争での勝利によりイギリスが軍事的,政治的,経済的な覇権国としての地位を固めていき,イギリス帝国の絶頂期を準備したからこそ,英語という言語も世界的な優位性を確立させていくことができた.イギリスの勝利は,もちろん Wellington 1人のみによるものではないが,象徴的な意義をもつ軍人であることは確かだ.
もう1つは政治家としての顔である.後にイギリスの首相となった Wellington は,1829年に「カトリック解放」 (Catholic Emancipation) を実現した.カトリック教徒の公職就任を大幅に認める改革は,アイルランドにおけるカトリック教徒の社会的地位を押し上げ,結果として皮肉なことにアイルランド人たちがアイルランド語から(アイルランド)英語へと言語交替 (language_shift) していく社会的な条件を整えることになった.信仰の自由の拡大という政治的決断が,長期的には言語共同体の言語選択にまで影響を与えていたわけで,この一連の因果関係は決して単純ではないにせよ,たしかに存在していたろう.
朝のジョギング中の何気ない発見が,思いがけずイギリスの誇る軍人・政治家と英語史の関係を考えさせることになった.なお,ダブリン(アイルランドの首都)とイギリスの話題が交錯しているように思われるかもしれないが,当時は1800年の連合法 (Act of Union) を通じて,1つの国となっていたことに注意が必要である.ダブリンはロンドンに次ぐイギリス(帝国)第2の都市となっていた.
英語史のアウトリーチ活動を続けていると、自分自身の肩書きについて考えさせられることがある.私は英語史の研究者であり専門家である.専門家といえば,英語では professional であり「プロ」だ.
professional 「専門職(の)」は名詞・形容詞ともに profession 「専門職」から派生した語だ.遡ればラテン語の動詞 profitērī 「公言する,公然と述べる」に行き着く.pro- 「前へ,公然と」と fatērī 「認める,述べる」(fārī 「話す」に由来)の組み合わせであり,字義通りには「前面に出て言い表わす」という発想である.英語の動詞 profess も同根に遡り,語義はやはり「公言する」である.
後期中英語期にフランス語を経由して英語に借用された profession(al) の最初期の語義は,「(信仰を公言して)修道会に正式に入ること,誓願を立てること」という,きわめてキリスト教的なものだった.修道士・修道女になるとは,信仰を人前で「公言する」ことにほかならなかった.つまり,かつての profession とは,職業的聖職者になる誓いそのものを指した.
この宗教的な語義はやがて世俗化し,中英語末から近代英語期にかけて,神学・法律・医学という「学識ある専門職」を指すようになる.さらに後期近代英語期には形容詞 professional が「その道を生業とする」の意で確立し,対義語 amateur 「愛好家」(ラテン語で「愛する」を意味する動詞 amāre と語根を共有)との対比のなかで,現在おなじみの語感が定着していった.
こうして語史をたどってみると,professional の根底には,「公言する」という行為があったことがわかる.「プロ」とは,単に生計を立てる手段であるだけでなく,「自分はこれを専門とする者だ」と社会に向けて宣言する行為でもあったのだ.アウトリーチ活動という文脈に立ち戻るならば,専門家が自らの専門性を看板に掲げ,それを広く外へ表明していく営みこそが,professional の語源に忠実な姿ともいえる.
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最終更新時間: 2026-09-27 05:00
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