
昨日の記事「#6363. 標準発音の整備を企図した Thomas Sheridan の辞書(1780年)」 ([2026-09-28-1]) に引き続き,ダブリンにゆかりのある文人を訪ねる「旅hel」 (tabihel) のダブリン編をお届けしたい.
先日,ダブリン中心部の Bank of Ireland の建物の一角で開かれている展示 "Listen Now Again" を訪れた.アイルランド国立図書館 (National Library of Ireland) が主催する,アイルランドの詩人 Seamus Heaney (1939--2013) の企画展である.銀行の重厚な円形ホールの一角に,詩人の肉声や手稿,写真が静かに並ぶという取り合わせがまず印象的だった.
会場には,詩の朗読の音源が随所に配置されており,訪れた者は文字どおり「今一度,聴く」ことを求められる.詩というのは不思議なもので,活字で読んでいたときとはまるで違うリズムと抑揚が耳に流れ込んでくる.

Heaney は北アイルランド Derry 州の農家に生まれ,Queen's University Belfast にて英語学・英文学を専攻した.彼は学生時代にアイルランド語,ラテン語,そしてなんと古英語を学んだ.学生時代にすでに学内誌に詩を発表しており,若くしてことばへの並外れた感覚を培っていたことがうかがえる.
この古英語への素地が,後に思わぬ形で結実する.Heaney は1999年,古英語の英雄叙事詩 Beowulf の新訳を世に問うた.学術的な逐語訳ではなく,現代詩人としての語感を存分に生かした翻訳で,発表されるや国際的なベストセラーとなるという,学術的翻訳としては異例の成功を収めた.Heaney 自身,この翻訳の序文で,Beowulf 中の動詞 þolian (耐え忍ぶ)に出会ったとき,故郷アルスターの祖母が日常的に用いていた方言語 thole を思い出し,そこに自分がこの古英語詩を訳す意義を見出したと述べている.方言に残る本来語の生命力が,1000年の時を超えて詩人と古英語テキストを結びつけたというわけで,英語史の観点からも,この上なく示唆に富むエピソードである.
Heaney は1995年にノーベル文学賞を受賞している.Beowulf の翻訳はその4年後の仕事であり,晩年に至るまで古英語という英語の原点に立ち返り続けた詩人であったことがよく分かる.
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