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#6398. 縦棒地獄からすでに解放されている! --- Murray の綴字改革提案[spelling_reform][minim][spelling][orthography][printing][oed][terasawashiho][khelf]

2026-11-02

 OED 編集者の James Murray (1837--1915) は,辞書編纂に関わったからこその独特な英語綴字観をもっていた.そして,綴字改革の提案もいくつかしている.その1つが,<u> の代わりに <o> で綴られている一群の単語を,本来の <u> に戻そうという提案である.Horobin (144) が次のように紹介している.

Murray argues that the introduction of printing means that there is no longer any need for <o> for historical <u>, so that sum, cum, tung, luv, abuv, wunder can be 'restored to their native English form ... before Norman cacographers spelled them with o'.


 背景にあるのは,中英語期の写字生による <u> の <o> による代用という綴字慣習である.ゴシック書体では <i>, <m>, <n>, <u>, <v>, <w> がいずれも縦棒 (minim) の組み合わせで書かれたため,これらが連続すると文字の切れ目が分からなくなる.そこで,母音を表わす <u> をあえて <o> で綴ることで,読みやすさを確保した.come, some, son, tongue, love, above, wonder の <o> は,いずれもこの慣習の名残と考えられる(詳しくは「#2450. 中英語における <u> の <o> による代用」 ([2016-01-11-1]) を参照されたい).
 Murray の論理は明快である.この <o> は当時の縦棒の判読しにくさに対する,いわば対症療法にすぎなかった.ところが印刷の時代となり,活字では縦棒の連続が紛らわしいという問題はもはや生じない.病がなくなったのだから,薬も要らない.ならば,本来の <u> に戻せばよいではないか,という理屈である.綴字の歴史に誰よりも深く分け入った辞書編纂者ならではの提案といってよい.<o> を持ち込んだ写字生たちを 'Norman cacographers' (ノルマン系の悪筆家たち)と呼んで切り捨てているところにも,Murray の英語本来の姿へのこだわりがうかがえる.
 ただし,綴字史研究の立場からは,いくつか留保をつけておきたい.まず,<u> の <o> による代用が縦棒回避だけで説明できるかどうかについては異論もある.そこには,フランス語やアングロ・ノルマン語の綴字慣習の影響,同綴字異義語の回避など,複数の要因が絡んでいた可能性があるのだ(「#2453. 中英語における <u> の <o> による代用 (2)」 ([2016-01-14-1]),「#3607. 中英語における <u> の <o> による代用 (3)」 ([2019-03-13-1]) を参照).また,hunt, sun, number のように,縦棒が続く環境でも <u> のまま残った語も少なくない.above の <o> と縦棒の関係については,khelf の寺澤志帆さんによる連載「『英語語源辞典』でたどる英語綴字史」の「18. above」でも,hunt のように置き換わらなかった例とあわせて論じられている.
 もう1点,Murray が提案する改訂綴字は,<u> に戻すだけでなく,luv, abuv では語末の <e> を落とし,tung では <-ue> を取り去っている.単なる復元にとどまらず,読みやすく規則的な綴字を目指す,いわゆる規則化 (Regularizing) 型の改革の性格も帯びているといえるだろう(cf. 「#5030. 英語史における4種の綴字改革」 ([2023-02-03-1])).
 結果からいえば,Murray の提案は実を結ばなかった.OED の見出し語も,現代の綴字も,come, love, tongue のままである.原因が消えても,ひとたび定着した綴字は簡単には変わらない.英語の綴字改革の難しさを,ここにもみることができる.come と some については,heldio でも「#1286. come と some の綴字のナゾ --- 縦棒回避と語尾の -e」で話しているので,あわせてどうぞ.

 ・ Horobin, Simon. A History of English Spelling. Edinburgh: Edinburgh UP, 2025.

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