英語綴字史の定番の話題といえば,標準綴字が存在しなかった後期中英語期に through という1語が516通りにも綴られていたという話である(cf. 「#53. 後期中英語期の through の綴りは515通り」 ([2009-06-20-1]),「#5738. 516番目の through を見つけました」 ([2025-01-11-1])).その後,近代英語期にかけて綴字は徐々に標準化し,固定化していく.17世紀初頭の英英辞書の表紙にすら wordes と words の揺れがみられたが(cf. 「#586. 辞書の表紙にあるまじき(?)綴字の揺れ」 ([2010-12-04-1])),18世紀半ばまでにはおおよそ現代の姿に落ち着いた.
このように綴字の歴史は「混沌から収束へ」という一方向の物語として語られがちだ.この物語によれば,現代英語には綴字の揺れなどほとんどないということになる.確かに colour/color のような英米差を別にすれば,日常の基本語彙で綴字の揺れ出会う機会は,それほど頻繁にはない.ところが,視点を語彙の周縁部に移してみると,現代英語にこそ新しいタイプの綴字の揺れが生じていることに気づく.ローマン・アルファベットを用いない言語から借用された語である.
例えば,日本語でいう「パジャマ」を考えてみよう.この語はペルシア語に由来し,ヒンディー語やウルドゥー語などを経て,インドに進出した英国人によって英語に持ち込まれた.元の言語ではデーヴァナーガリー文字やアラビア文字などで書かれる語なので,英語に取り込むに当たっては,その音をローマン・アルファベットでどう写すかという翻字 (transliteration) の問題が生じる.実際,後期近代英語期の文献には paunjammahs, paejamus, paijamahs, piejamahs, pigammahs, pyjamas など様々な綴字が現われた (Horobin 77) .そして現在でもイギリス英語の pyjamas とアメリカ英語の pajamas の2本立てが続いている.
中英語期の綴字の揺れのが,英語の内部で方言発音や写字生の癖から生じたものだったとすれば,近現代英語の揺れの多くは,英語が世界中の言語と接触し,異なる文字体系の語を次々と取り込んできたことの帰結であるともいえる.英語が世界展開すればするほど,翻字に起因する綴字の揺れが増す可能性がある.綴字の歴史は収束の一方向に向かい「標準化」の名の下に完結したわけではなく,新たな時代の新たな揺れを生み出し続けているのだ.
Horobin (77) には,類例としてjewelry, jewellery, juelrye, iewelrye, iewellrie, jewellery のような綴字の変異も取り上げられている.
・ Horobin, Simon. A History of English Spelling. Edinburgh: Edinburgh UP, 2025.
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