
「旅hel」 (tabihel) シリーズのスコットランド編より.先日の「#6378. ハドリアヌスの長城と英語史」 ([2026-10-13-1]) に続き,今回もイングランドとスコットランドの境界をめぐる話題である.
この8月のスコットランド旅行で,Stirling を巡った.Stirling Castle を見学した後,郊外へ足を延ばして訪れたのが,Bannockburn である.1314年,スコットランドにとって忘れられない戦いがあった場所だ.しかし,着いてみると,何もないただの草原.その草原に,Robert the Bruce の像だけが立っていた.上の写真がそれである.ハドリアヌスの長城の跡地と同じく,ここでも歴史の舞台は,今では何もない平原なのだった.
Battle of Bannockburn (バノックバーンの戦い)とは,どのような戦いだったのか.13世紀末,イングランド王 Edward I はスコットランドに介入し,1296年には王位の象徴である「運命の石」をロンドンへ持ち去った(cf. 「#6367. スコットランドの「運命の石」を見てきた --- The Stone of Scone」 ([2026-10-02-1])).William Wallace の抵抗を経て,1306年に王位に就いたのが Robert I,すなわち Robert the Bruce である(歴代の君主については「#6220. 歴代スコットランド君主と統治年代の一覧」 ([2026-05-08-1]) を参照).そして1314年,Bruce は Stirling Castle の救援に向かった Edward II の大軍を,Bannockburn の地で打ち破ったのだ.スコットランドはこれにより独立を守り,1320年の Declaration of Arbroath,1328年の Treaty of Edinburgh-Northampton へと続いていくことになる.
では,英語史の観点からは,この戦いをどうみることができるだろうか.「#3601. McArthur の英語史年表」 ([2019-03-07-1]) の1314年の項には次のようにある.
Robert Bruce reasserts Scottish independence by defeating Edward II at Bannockburn, an achievement later celebrated in an epic written in Scots.
ここでいう "an epic written in Scots" とは,1375年に John Barbour が著した The Bruce のことである.Bruce の生涯と Bannockburn の勝利を歌い上げたこの叙事詩は,Scots で書かれた最初期の本格的な文学作品として知られる.戦いの勝利が,その地の言葉による文学の出発点ともなったわけだ.ただし,Barbour 自身は自らの言葉を Inglis と呼んでいたはずである.この変種が Scottis と呼ばれるようになるのは15世紀後半のことだからだ(cf. 「#1719. Scotland における英語の歴史」 ([2014-01-10-1])).
政治的な独立が保たれたからこそ,Lowland の英語はイングランドの英語とは別の道を歩むことになり,やがて独自の名前をもつ Scots として花開いた.その意味で,Bannockburn は Scots を守った戦いだったともいえるだろう.仮にこの戦いに敗れてスコットランドがイングランドに併合されていたら,Scots の歴史,ひいては「#6216. Scots は English とは別の言語なのか,あるいは1方言か」 ([2026-05-04-1]) という問いそのものも,今とはまったく異なる形になっていたに違いない.
スコットランドの政治的独立をめぐる議論も,Scots という言葉の独立をめぐる議論も,700年以上を経た今の今まで続いている.何もない草原に立つ Bruce 像の背後には,現在にまで続く長い物語があるのだ.
関連して「#6205. Scots の歴史に注目すべき理由」 ([2026-04-23-1]) もどうぞ.
Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow