9月26日(土),朝日カルチャーセンター新宿教室にて,今年度の夏期第3回(シリーズ通算第18回)となるオンライン講座を開講しました.夏期クールの締めくくりとなる今回のテーマは「through を探って中英語原文の世界へ」です.「歴史上もっとも不思議な英単語」シリーズの一環として,現代英語の基本語 through(~を通り抜けて)を手がかりに,中英語期の綴字が乱立した謎に迫りました.参考テキストには,引き続き市河三喜・松浪有(著)『古英語・中英語初歩〈新装復刊〉』(研究社,2026年)を活用しました.
講座の前半では,through の綴字を後期中英語期の文献から丹念に集めていくと,私が確認できただけで516通りもの異なる綴字が見つかるという驚くべき事実を出発点としました.「#53. 後期中英語期の through の綴りは515通り」 ([2009-06-20-1]) 以来折に触れて話題にしてきたこの数字ですが,2025年にさらに1通りの綴字 þurrh が見つかったことは「#5738. 516番目の through を見つけました」 ([2025-01-11-1]) で報告した通りです.through が音位転換 (metathesis) の代表格とされていること,また thorough とは同一語源から分かれた2重語 (doublet) の関係にあり,「(穴を)貫く」を原義とする動詞 thrill とも語根を共有することを,『英語語源ハンドブック』と『英語語源辞典』の該当項目を突き合わせながら確認しました.1066年のノルマン征服によって英語が公的な書き言葉の座を失い,13世紀以降に書き手たちが規範のないまま自らの訛った方言に即して綴ったという,英語綴字史上の重要な経緯についても,年表とともに振り返りました.
こうした through の綴字の乱立と好対照をなすのが,古英語 burh(単数与格 byrig)に遡る borough 系の地名接尾辞です.-borough(Peterborough),-burgh(Edinburgh),-brough(Middlesbrough),-bury(Canterbury),-burg(Williamsburg)と,地域ごとに異なる形で現在まで生き残っており,この単語には控えめに見積もっても80通りの異綴字が確認できることを紹介しました.方言分布(北部・東部の biri,西部・南部の buri,南東部の berie)や,スコットランドに残る1音節形 broch が古ノルド語 borg の音位転換形であることにも触れ,「#5333. 古英語地名要素の混乱 --- -ham, -hamm, -holm; -bearu, -beorg, -burg, -byrig, -borough」 ([2023-12-03-1]) を参照しつつ議論を深めました.through の異綴字が中英語期という一時期に噴出してやがて1つに収束した通時的な現象であるのに対し,borough 系の異形は複数の地域方言をそのまま反映して現在まで並存する共時的な現象であるという対比を,受講者の皆さんと確認できたと思います.
講座の後半では,実際に市河三喜・松浪有(著)『古英語・中英語初歩〈新装復刊〉』(研究社,2026年)の pp. 144--48 に収められている The Ormulum の "Dedication" 冒頭16行を,中英語原文で読解しました.綴字に潔癖なまでのこだわりを見せた書き手 Orm の一風変わった綴字法(子音重複による短母音表示の一貫性など)に注目しながら訳読を進め,このテキストのなかに「516通り目」の þurrh が実際に現われることも確認しました.
次回,10月24日(土)からは秋期クール(全3回)がスタートし,初回は「will を探って中英語原文の世界へ」と題して開講されます.また,その前に10月10日(土)には,拙著『英語史で解く 英文法の謎 --- なぜ「3単現の s」をつけるのか』の出版を記念した特別講座「英語学習の伏線回収の鍵は「英語史」だった!」も予定されています.詳細・お申込みは,朝カルの秋期クールの公式ページおよび特別講座の公式ページをご覧ください.
・ 市河 三喜,松浪 有 『古英語・中英語初歩〈新装復刊〉』 研究社,2026年.
・ 唐澤 一友・小塚 良孝・堀田 隆一(著),福田 一貴・小河 舜(校閲協力) 『英語語源ハンドブック』 研究社,2025年.
・ 寺澤 芳雄(編集主幹) 『英語語源辞典』新装版 研究社,2024年.
・ 堀田 隆一 『英語史で解く 英文法の謎 --- なぜ「3単現の s」をつけるのか』 NHK出版〈NHK出版新書〉,2026年.
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