
9月半ば,アイルランド西部 Connemara の奥,大西洋に面した Derrigimlagh Bog という湿地を訪れた.目に入るのは,泥炭色の水をたたえた小さな湖沼と,荒涼とした大地だけ.アイルランドの英語史ゆかりの地をめぐってきた「旅hel」 (tabihel) シリーズだが,今回は思い切って西の果てまで足を延ばしてみた.
何もないように見えるこの沼沢地こそ,20世紀初頭の技術史と英語史の双方にとって見逃せない場所である.1907年,ここに世界最大級の無線電信基地局が築かれ,大西洋を越えた初のモールス信号が発信された.築いたのは,イタリア人技術者 Guglielmo Marconi (1874--1937) である.現地の解説パネルによれば,彼はイタリアで生まれ育ったが,母 Annie Jameson はアイルランド人であり,Jameson ウィスキー一族の出身だという.親族が Dublin と Wexford に蒸留所を所有していたというから,Marconi はまさにイタリアとアイルランド,両国の血を引く科学者だったことになる.

1905年に建設が始まったこの基地局は,当時世界最大の無線局だった.受信用アンテナは,湖を挟んで約610メートルにわたって張られていたという.これほどの設備を動かすには莫大な電力が要る.そのため湿地のただなかに発電所が建てられ,昼夜を分かたず轟音を響かせていた.技師の住居,貯水池,受信室,発電施設,労働者の社交場まで備え,人里離れた泥炭地に小さな産業集落が出現していたというわけだ.今では,発電所や労働者住宅の土台部分だけが,草を食む羊たちそばでひっそりと残るのみである.
この地はもう1つの歴史の舞台でもある.1919年6月15日,John Alcock と Arthur Whitten Brown が,カナダ東部 Newfoundland からの大西洋無着陸横断飛行を果たし,まさにこの Derrigimlagh の沼地に降り立ったのだ.上空から見た緑の湿地を平坦な野原と見誤っての着陸だったと伝えられている.
今日,この湿地には5キロほどの周遊トレイルが整備されており,Marconi の基地局跡と Alcock and Brown の着陸地点の双方をめぐることができる.幸い大きく崩れることのない空模様のもと,荒涼としたループを存分に楽しむことができた.
この荒涼たる湿地は,大西洋を挟み新旧大陸をつないだ,コミュニケーションと輸送・交通に関する2つの技術的快挙を象徴する歴史的に重要な場所だったのだ.そして,この事業に関わった人々の間で用いられていた言語も,その人々の仕事を通じて大西洋を渡った言語も,英語だった.英語史上にも銘記されるべき場所である.
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